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2018年4月5日「火花ーGhost of the Novelist」

2018年4月5日(木)
 
がっつりネタバレ感想。小説、ドラマも含め火花の物語をまだ見ていない人は注意。
 
主要キャストの感想。
 
徳永/植田圭輔
女の子みたいな綺麗な顔をしていて徳永にしてはちょっときれいすぎ。でも小柄な体格と繊細なキャラクターで徳永になっていたと思う。徳永をやる上で小柄ってすごく大事な気がしていて、長身でもがっしりしていてもイメージに合わないし、神谷と真樹が布団を回す場面で「お前20キロくらいしかないんか」みたいなこと言われてたけどその感じが徳永ぽい。
女の子のファンがたくさん観に来ていただろうけど、真樹の自宅に神谷の荷物を取りに行く場面で股間の擦り方が激しくて、イケメン俳優的に大丈夫だったのか心配w
スパークスのラスト漫才が泣けるなんていうのは私からしたら当たり前というか、文字の段階でめちゃくちゃ泣いたので別にお芝居が大して上手くなくたって台本だけで泣けてしまうものなんだけど、でもやっぱり植田さんのお芝居の力もあったんだろうな。
 
神谷/石田明
1番客観的にどうだったという感想が書けないけど、よかったんじゃないかな?ヘタレじゃない役が普通に違和感なく見れる。つか作品で得たものも大きいのかな?ノンスタとは違うタイプの漫才が見れたのがおもしろかった。
太鼓の太鼓のお兄さん〜のところが原作のイメージ通りというか、この場面で「ああこの人は神谷だ…」という感情になった。ラストのシーン、おっぱいを揺らしながら花火の形態模写してるところが本当にアホでしょうもなくて愛おしい。
 
唯一ドラマ版と同じキャスト。ラスト漫才で泣きながら漫才してたのが印象的だった。ドラマだと一発撮りで自然に泣けたらしいけど、何度も稽古を重ねたきた舞台でも同じように泣けるってすごい。
 
大林/宮下雄也
そんなに出番は多くないんだけど、漫才シーンのツッコミが普通に上手かった。ああいうどっしりしたタイプのツッコミの芸人さんて現実にいるよなーって思った。
ダンガンロンパで観たときはもっとシュッとしたビジュアルだったと思うんだけど、この数年で何かあったんですかね?w
 
とりあえずめちゃくちゃ綺麗だった!あれ?この人歳とか取らないのかな?って思った。又吉さんに「火花を私が書いたことにしてください」という無茶なお願いをする役なのだけど、何言ってるんだこの人は、とはなっても嫌いになったり不快になったりはしない天性のチャーミングさがある。きっと本当の本物の観月さんは聡明な人だと思うんだけど、ちょっとおバカでわがままでだけどかわいくて憎めないってキャラクターが女優観月ありさのイメージにあって、それを本人がちゃんと演じていた。
 
原作者/又吉直樹
本人として小説について語る役だから何か演技をするという役ではないけれど、そこに本人がいる、という存在感が大切だったのだと思う。観月さんとのやりとりもおもしろかった。
 
 
雑多な感想。
 
1回目の観劇の感想とも重なるけど、脚本の構成が舞台ならではで上手かったしおもしろかった。あと映像を使うのはあんまり好きじゃないけど、小説のページ数や文章そのものを映したり、情景をスクリーンに映したりする演出は良かった。
そういえばZeppのライブの場面で「赤坂」って出てたんだけど、Zeppはお台場だよね?たぶんBLITZと間違えたんだろうけど、スタッフさん誰も気付かなかったのかな?とは思うw お笑いライブで使う大規模ライブハウスというとZeppよりBLITZのほうが思い浮かぶから間違える気持ちはわかる。
 
ライバル?の鹿谷が痩せてるのは「そう!それー!」と思った。ドラマ版の鹿谷を見て「太ってるんかい!」って思ってたから、自分のイメージに近付いていてうれしかった。単純にアンサンブルに太ってる人がいなかったというのもあるんだろうけどw
 
それを言い出すと真樹の新しい彼氏はなぜあんなことになったの⁉︎w 原作では彼氏のキャラクターはほぼ描かれていなかったはずだし、笑いが起こるシーンでもなかった。まああれはあれでおもしろいんだけど、普通にアンサンブルの誰かがやればいい場面で宮下さんを使ったのはどういう経緯なのかはちょっと気になる。
 
あほんだらの漫才に関して。小説だと事前に録音した台詞に合わせて当て振りするという漫才のルールを逸脱したネタをする場面。「相方の手を食べたい」はボケの発想はちょっと独特だけど、「これは漫才じゃない」と審査員に怒られるネタだとは思えなかった。個人的にはネタはおもしろかったし。突拍子もない一つのボケで引っ張っていくしゃべくり漫才だからノンスタの漫才のスタイルとは全然違っていてあほんだらのネタなんだけど、この場面で普通にウケてしまうと話がつながらなくなってくるから難しいね…。
 
作者である又吉さんに向かって観月さんが疑問や不満をぶつけていくのがすごい。小説の時点で賛否両論あったラストに関して、「さっきのところで終わっておけばよかったのにー」みたいなことを観月さんに言わせる脚本。そこに対して意図を話す又吉さん、そしてあえて順番を変えてラストに持ってきた真樹のシーン、この構成が上手いと思う。
 
2回目の観劇で、なぜかラストの真樹がベビーカーを押して歩くところで泣けた。2回目を見てようやく、これは芸人の話ではなくて全ての人の人生を肯定する話なのか、と気づいた気がする。
 
それこそ芸人の写真が流れる演出なんかもそうだけど、火花の物語を理解するには若手芸人を取り巻く環境を知っているか否かが大きいのではないかと思っていた。これは小説を読み終わったときも思ったことだった。M-1の予選が数ヶ月にも渡って行われていてそれを勝ち抜いたものだけが決勝の舞台に立てることを知らないような人がこの小説を読んで感動できるのか、みたいな疑問。
20歳前後の頃、周りの友達が誰も知らないような芸人を好きになって、ネット配信を見たり、ライブに行ったり、深夜番組に出ると聞いたら楽しみで仕方なくてその5分間の出演のために録画する、というようなことをしていた。その頃感じた若手芸人に関するいろいろなことが火花を読んでよみがえったし、徳永の喜びも痛みも悲しみも、自分が若手芸人のファンだったからこそ共感しているのではないか、と感じていた。
だから若手芸人を応援した経験のない人にはこの物語は理解できないのではないか、とちょっと優越感や自惚れも含めた感情がずっと根底にあった。
 
でもこの物語は芸人の生き様が熱いとかカッコいいとかいうことが主題ではないんだよね。
芸人の素晴らしさを伝えるなら努力の末に売れっ子芸人になる話にした方がわかりやすいし。でも辞めていった芸人も誰かを笑わせてきたし、辞めたあともその先のもっと長い人生があって、その全てを肯定しているのが火花という物語で、それは芸人以外の全ての人の人生も肯定しているんだということ。全ての人の人生を肯定しているんだよ、ということを強調して表現したのが舞台版の火花だったのかな、と思う。
 
火花を書いたのは売れっ子芸人のピース又吉さんで、『自分が今ここにいるのは売れずに辞めていった芸人たちのおかげ』だなんてメッセージが込められているとしたら、それは優しいけど残酷だと思っていた。でも又吉さんは辞めていった仲間やもう2度と会わない人たちに向けてもエールを送りたかったのかな、なんて思った。
 
 
公式twitterでは映像化の予定はないとのことだったけど、よく出来ていたからもったいない。本当はあと2回くらい観たかったかも。いろいろ書き残したこともある気がするけど、時間も経ってしまったのでこのあたりでアップしておく。
 
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